ASIANEWSアフガンリポート
 
AfterWar in Afghanistan
アフガニスタン発 久保田弘信取材日誌

<報告>久保田弘信
1967年岐阜県生まれ。
岡山の大学を卒業後フリーカメラマンとしてインド地震を取材。以来、アジア中東を中心に取材を続ける。ニューヨークテロ事件以前からアフガニスタンにて取材を続け、アメリカによる攻撃後はパキスタンに流入する難民を積極的に取材。現在も自ら取材する難民の行方を継続して追跡している。難民の子供たちの素顔を捉えた個展を多数開催。アフガン難民の姿をテレビ朝日、TBS等でリポート。

パキスタンより
2003年10月3日
いやー体調が悪い。昨日アジアニュースの板倉氏と食べた焼き肉のせいか、それとも夜中に突如として現れた蚊のせいだろうか。

眠い目をこすっているうちに成田エクスプレスが僕を成田に運んでくれた。チケットを手にして、チェックインしようとすると、「久保田さん」と呼ばれた。ん?と振り向くと名古屋在住のライターIさんが何故か空港にいた。見送りに来てくれたそうで・・何も聞いていなかったのでちょービックリ。

PIAはオーバーチャージがうるさいので、ここぞとばかり機内持ち込みの荷物をみててもらう。スーツケースから色々出したお陰で、荷物の重さはちょうど20キロだった。

残りの荷物を持って出国審査。成田と羽田のセキュリティーの違いに驚く。バッグの中にはペットボトル、セーフティーパックに入ったフィルム、そしてコンピュータ。羽田だったら間違いなく開けられるところだが、成田はチェックなし。国内線の方がセキュリティーが厳しいなんて、なんかおかしい気がする。

やはりPIAはイヤだ。もう大丈夫だと思っていたら、飛行機に乗り込む寸前に手荷物の重さをチェックされ、機内に持ち込めません。と言われてしまった。カメラとコンピュータだからと言って、なんとか切り抜ける。

日本だから何とかなったが、パキスタンだったらまた大変だ。帰国の日が思いやられる。

PIAは満席。フンザを訪ねるツアーの日本人も沢山いた。14:30Take off. 18:30ようやく北京。今回は北京までがとても長く感じられた。僕の隣はパキスタン人のイクバルさん。

久しぶりに英語とウルドゥーの会話をしてとても疲れた。

次は絶対マレーシアエアーにしようとおもう。機内が禁煙だったのが唯一の救いだ。

まいった!

空港からピンディーのニーラムバレーホテルに行き、チェックインをしようとするともうホテルはやっていないと言われてしまった。なんと結婚式場になってしまっていた。仕方がなく前オーナーのサイードがいないポピュラーインに行くことにする。ドミトリーしか空いていないとうことで、チョー久しぶりにドミトリーに泊まった。

10月4日
ドミトリー・・朝早くから周りの泊まり客が動き出す。それでも眠っていたが、いい加減に起きようと思って起きると、まだ8時だった。もうこれ以上眠れないと思った。日本ならまだまだ眠いと思える時間なのだが、4時間の時差は大きいようだ。日本ならもうお昼。もう眠れない訳だ。

久しぶりのパキスタンは以前より緊張した空気感がある。なぜだろう。さすがにドミトリーはイヤだし、かつてのオーナーサイードがいないポピュラーインに泊まる理由もない。

ホテルを移り、いつものレストランでチャイとナンの朝食を取る。今回はエクスチェンジのレートが良くなっていた。1万円が5110Rs。アフガニスタンでも必要なので多額を交換したいが、気弱な僕は何回かにわけて両替をした。夕食は中華を食べようと思ってレストランに向かったが、営業は6時からだった。さすがに2時間待つのは辛いので、ビーフカレーを食べに行く。

久しぶりに一人になった。周りはパキスタン人ばかり。日本にいるとイラク戦争に行ったということで、みんな「すごいねー勇気があるねー」と言うが、僕自身は以前より臆病になったくらいだ。

終わってみればイラク戦争はたいしたことがなかったように思える。多分、バグダットにいたジャーナリストみんながそう思うのではないだろうか。でも実際に戦争の最中はもう生き残れないかもしれないとおもった。

一度拾った命を大切にしたいと思うからか、今回のアフガニスタン行きは本当に腰が重かった。



10月5日

08:50ようやくギルギット行きのボーディングパスを手に入れた。ギルギットに行ったのは3年前だろうか?空港のシステムは全く進歩がなかった。チェックインカウンターのサインボードが使用されていないためスカルドゥー行きの乗客とギルギット行きの乗客が一緒になってしまい、大混乱。しかも連日のフライトキャンセルのためキャンセル待ちの乗客も沢山いる。バスで16h走るより良いが、毎回チケットを手に入れるのにケンカのようになってしまう。

ちょうど一時間でギルギットに到着。まっすぐマディナ・ゲストハウスへ行く。「ヤコブはどこ?」と聞くと、ヤコブは5日前に中国へ行ってしまったと。あーあ、なんてこった。ヤコブに会うためにギルギットまで来たのに。知らないスタッフと話していると、後ろから「ヒロさん、おかえりー」と声を掛けられた。振り向くとそこにはマンズーがいた。このおかえりー!という言葉が嬉しいね。ヤコブに会えなくて残念だけど、写真集と手紙を置いておく。

マディナ・ゲストハウスでイラクのDVDをみんなで見た。一人の女性が「BBCで見ているニュースと違うわ」と言った。どの国でも正確な報道はなかったようだ。マンズーがBBCのニュースを見ていたらヒロが写っていて、みんなで「今のヒロだよなー。ヒロはアフガニスタンにいるんじゃないのか?」と話していたそうだ。テレビの力はすごいね!パキスタンの友人達がイラクにいる僕をテレビで見れるなんて。

マディナには新たに猫がいた。僕がマンズーと話していると僕の膝の上に乗ってきた。夜マンズーと食事をして部屋に戻ろうとすると猫がいた。しばらく僕を見つめていたので、おいでと声をかけたが動かなかった。そりゃーそうだろう、と諦めて部屋に入ると外でにゃーと鳴く声が、さっきの猫が僕の部屋まで来たようだ。

僕はアフガニスタンに行くようになる前に娘(チョビ)と一緒に住んでいた。パキスタンまで来て猫と一緒に寝れるとは・・いまこうして日記を書く僕の膝の上で寝息をかく猫がいる。



10月6日

フンザに行こうかどうか迷ったが、今回はギルギットでゆっくりすることにする。マンズーと一緒にポロゲームを見に行く。何度もギルギットに来ているが、ポロを見るのは初めてだった。とてもエキサイティングなゲームだった。

夜、食事をしているとニュース速報が入ってくる。イスラマバードで要人が乗った車が襲われ、5人が死亡。そのうちの一人はイスラミックリーダーのアザム・タリック氏だった。おそらく日本ではニュースにならないだろう。さすがにBBCではニュースになっていた。今回、久しぶりにパキスタンを訪れ、ピンディーの空気が緊張していると感じた。今になってこんな事件が起こるとやっぱりと思う。何が、という訳ではないのだが、何となく嫌な空気感だった。

昼ポロゲームを見て、リラックスして、集英社に出す原稿を書いていたのに・・こんな山奥にいても世間のニュースが入ってくる。インドが軍事力強化とのニュースをやっている。周りのパキスタン人が無言でそのニュースを見つめる。パレスチナに空爆?全く世界はどうなっていくのか?

10月7日 戒厳令の朝
朝は嵐のようだった。強い風と雨が吹き付けていた。僕はベッドの中でPIAオフィスに行かなきゃならないのに雨じゃいやだなー。などと考えていた。

午前9時、雨がやんで薄日がさしてきていた。部屋を出るとマンズーが「今日は外に出ない方がいいよ」と言う、なんで?と聞くと、昨日アザム・タリック氏が殺された事でギルギットも物々しい雰囲気になっているらしい。全てのショップ閉まっている。ちょっと待って。PIAは開いてる?と聞くと、「多分開いてる」と。明日のチケットをリコンファームしなければならないのでオフィスへ行く。ギルギットのメインストリートはバリケードで封鎖され、車が一切走っていない。女性や子供の姿がなく、男性だけが道を行き来している。町のあちこちでタイヤが燃やされ、黒煙を上げている。途中100人位のデモ行進に出会う。

イスラマバードから遠く離れたギルギットでさえこんな様子なんだから、都市部は大変なことになっているだろう。テレビではアザム・タリック氏の葬儀のもようが映し出されていた。アフガニスタンの時日本のテレビ局が大挙して泊まっていたマリオットホテル。そのマリオットホテルからほど近いメロディーマーケットで爆弾騒ぎがあり火事になる。ガソリンスタンドや町の公衆電話が壊されるシーンが何度もテレビに映し出される。イスラマバードは大混乱のようだ。これでまたパキスタンのビザが厳しくなってしまうのだろうか?



10月8日 フライトキャンセル
猫が寝返りをうって目覚めた。雨だ!飛行機キャンセルになちゃうだろうなー。ハビブに確かめるとやはりキャンセルだそうだ。これも運命。しかしハビブを含め、マディナのみんながニヤニヤしてる。「おいおい、キャンセルなんだから、もう少し悲しそうな顔をしろよ」「あしたも明後日も、ずーっと飛行機が飛ばないといいなー」などととんでもないことを言う。「ずーっといれば、ヤコブも帰ってくるぞ」・・3年前にも同じ事を言われた気がする。ギルギットは特別観光地も少なく、フンザへのトランジットポイント的な要素が強い。みんな仲良くなった人には少しでも長くいて欲しいと思うようだ。

朝食をすませPIAオフィスへ。フライトがキャンセルになったためオフィス内はパキスタン人で込み合っていた。何となくめで訴えると、一人の係員が来てくれた。今回はいとも簡単に明日の一番のフライトがとれた。あとは明日の天気がようなることを祈るだけだ。

今日も寒い。どこにも出かける気になれないので・・原稿を書こう。どこにも出かけないお陰で原稿が大分書けた。しかしイラクの事を思い出しながら原稿を書くのは精神衛生上よろしくない。気分が沈んでくる。このまま眠ってしまいたいと思う誘惑を振り切って、夕食を摂る。今日はスパゲッティー。・・お世辞にも美味しいとは言い難いがハビブと話をしながら楽しく食べる。テレビではパキスタンがミドルレンジのミサイルテストをしたと報道していた。


10月9日
曇り空、少し雨が・・やはり今日もフライトキャンセル。仕方がなくイタリア人のシモーヌとフランス人のジェニファと一緒に山を下りる。

今回、ギルギットに来たのは2つの目的があった。1つは旧友達に再会すること。もう1つはアフガニスタンとの国境辺りにいらっしゃるタリバンについての情報をもらうこと。1つ目は殆ど果たせた。ヤコブとはあえなかったが、中国から彼が電話してきたときに話す事ができた。2つ目はあまり期待していなかったが成果があった。

タンギール・バレー。この辺りにすむパキスタン人はとっても敬虔なモスリム。この辺りにタリバンがいるとのことで10月初旬パキスタン軍の特殊部隊によって捜索が行われた。勿論、地元の人たちが見事にタリバンを逃がしたそうだ。軍の特殊部隊による捜索はたった2日だったそうだ。あまり真剣に捜索する気がなかったようにも思える。ここからはお話として聞いてください。

タンギール・バレーはパキスタン政府でも手を出しにくい地域だそうだが、地元の人の話によると、特殊部隊が来たとき、武装した(クワかスコップか鉄砲かはわからない)村人が特殊部隊を取り囲んで、一瞬騒然となったそうだ。話に尾鰭がついたとしても村人がタリバンを匿い逃がしたのは事実だろう。今でもタリバンを指示するパキスタン人は多い。できることなら僕もタリバンの人たちに会いたかった。僕を世話してくれたNさんの消息を聞きたいものだ。


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10月5日の写真 ギルギットに向かう飛行機。
上空から見たシャー・ファイサルモスク























10月6日の写真 生まれて初めてポロゲームを見た。








10月7日の写真
ギルギットの街には沢山の警官と軍隊がやって来た。
9、11の後のパキスタンと同じような警戒態勢になってしまった。






10月7日の写真
イスラマバードでアザム・タリック氏が殺害されたことによって
ここギルギットでもデモとストライキが行われた。










写真橋の向こうがタンギールバレー

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