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アフガン日記

PCの中身を整理していたらアフガニスタン日記が出てきたので掲載してみます。 これはアフガニスタン戦争が起こった後アフガニスタンに向かう時の僕の日記です。

アフガン日記2008はこちらから
2008年2月からのアフガン日記です

<過去の記事へのリンク>
戦後アフガン情勢リポート
 アフガン戦争後の記事



 2003年10月3日から24日の取材日記


12月10日
アフガニスタン難民の緊急支援とアフガニスタン取材のため日本を発 つ。 10:10成田からクアラルンプールへ・・ クアラルンプール経由でインドのデリーへ向かいそこからパキスタンへ入りアフガニ スタンを目指す。 本来なら直接パキスタンに入るところだが、ラマダン明けが近いこともあってチケッ トが取れない。 取材だけなら遅れてもいいが、飢えと寒さに苦しんでいる難民のことを考えると一刻 も早く現地に行きたくて手間がかかるが、インド経由のコースを選んだ。  飛行機の窓から見るそらはとても美しく、地球の美しさを実感する。ここから見る 限り大気汚染も感じられない。こんな美しい地球の上で醜い争いが起きて いて、僕はこれからそこへ向かう。 フガニスタンに関しては現地への思い入れもあるし、難民を助けるのも確かだ。しか し現地を取材することによって、僕自身がお金を得るのも事実だ。ジャー ナリストは人の不幸を食い物にするハイエナなのだろうか?アフガニスタンに関して はこの問題に苦しめられることはないが、将来ジャーナリストとして他の 国を訪れたとき、もしかしたら悩むことがあるかも。真実を伝えることによって問題 が解決に向かうことも多いが、それを生活の糧にしていくのはつらいこと かもしれない。

12月11日
パキスタンのラホール行きのチケットを手に入れる、これでようやくパキスタンに入 れる。 壊れたスーツケースの修理をしていたらあっという間に空港へ行く時間になってし まった。(インドに着いたとき、スーツケースが壊れてあいたままターン テーブルから出てきた) インドのセキュリティーはパキスタンほど厳しくない。18:20テイクオフ。ラ ホールまで僅か50分のフライト。こんな近いのに出国手続きがあり、入国 手続きがある。21世紀を迎えた今・・そろそろ国と言う概念を捨て去らねば地球が もたない気がする。 ラホールに到着。初めてパキスタンに来た時からの友人イドレスの家に泊めてもら う。明日イスラマバードに向かい、その後クエッタに向かう予定だ。

パキスタンのクエッタで出会ったアフガン人と。


12月12日
朝早く起きたものの、友人のイドレスがまだ寝ていたため、日本に連絡をとり10時 になりようやく朝食を摂る。お昼にはイスラマバード行きのバスに乗りた いと思う。 12:30daewooのバスに乗る。バス停に着くと、タクシーのドライバーが「今日の バスはもう満席だからタクシーで行くしかないよ」と言う。もしや と思いつつも、オフィスでチケットを確認。あるじゃん、これがパキスタン。 昨日、ラホール空港に来ていた某日本テレビのスタッフ達はピックアップが来てい た。今頃とっくにイスラマバードのマリオットホテルにいるんだろう なー・・。ちょっと羨ましい。 16:40ラーワルピンディー着。予想外に時間がかかってしまった。移動だけで一 日をつぶしてしまった。 今回に関しては移動時間を楽しむ余裕がない。しかし飛行機を使わずに地元の人と一 緒になって行動する事によって見えてくるものも多い。今回も偶然にアフ ガニスタンから来ている人に会って話を聞くことができた。そんな地道な行動からし か見えてこない、大手の報道陣ができない取材もある。

12月13日
イスラマバードへ行き某TBSからレターをもらい、パキスタンの内務省に行きヴィザの手続きをして、クエッタ行のチケットを入手する。
実際の取材に入る前の色々な手続きが大変。日本もそうかもしれないが、お役所は何故か僕をたらい回しにする。ポピュラーインがしまっているから、動きが鈍いかも・・(ポピュラーインは僕がパキスタンで定宿にしているゲストハウス911以降お客さんが減って閉鎖てしまった)ようやくにして、イスラマバードでの仕事を終え、(TBSによって現地の情報を得て)クエッタへのチケットを・・しかしラマダンの影響でチケットが全然とれない。このままではクエッタまでバスで移動することになってしまう。バスの移動はいやだなー。現在のアフガニスタンは暫定政権というくらいで、ヴィザはなく、前回より簡単に入国できそうだ。まずはカンダハルへトライして、その後ペシャワールからジャララバードを目指す。そのころカブールまで抜けられればいいが、駄目な場合は一度でて、北からマザリシャリフを目指す。

12月14日
無理をして日本を早くでてきたのに、・・結局16日のラホールからクエッタの便しか取れない、一瞬、明日15日の便が取れそうな気配があったんだけど・・。結局取れなかった。バスを使っても33時間かかり、一日の差を飛行機が埋めてしまう。この遅れが先々に何を、どんな出会いをもたらすか?毎回良い出会いがある。しかし今は焦りだけが、・・
16日お昼過ぎにはクエッタにつけるはずだ。その日のうちにサマリー難民キャンプを訪れたいと思う。16:40ラーワルプンディーの安いホテルに泊まり、ルームサービスでチキンピラフとオムレツを食べる。まあまあの味、ラマダンのおかげで町の飯やは5時すぎないと営業を開始しない。生まれて初めてまともなラマダンを経験し、そのやっかいさを実感した。4年前にマレーシアで経験したラマダンは通常の生活になんの支障もなく、ただラマダン明けのパーティーがすごかっただけだ。ここパキスタンのラマダンは本物だと思った。
20:00やはり偶然は起こった、アフガン人のスープ屋でスープを飲んでいると後ろから声をかけられた、振り向くとそこには知った顔が、ピンディーのタイプや屋さんのおじさんだった。今日クエッタに向かっていたら会えなかっただろう。1週間くらいでクエッタから帰ってくるというと、次回は実家に招待してくれると言った。無駄に思える時間も最終的にはなにかにつながっている。一つ一つの行動に運命を感じる。
 
12月15日
14:00再びラホールへバスで向かう。ラマダンと週末が重なりバスのチケットを手に入れるまで安心できなかった。窓口のまわりは大男が色々な事を叫びながらなんとかチケットを入手しようとしている。こんな時外国人はなすすべがない。ましてや典型的な無理を言えない日本人である僕は。。近くに英語を話せる女性がいて、彼女が僕の分もにチケットを買ってくれた。この国では女性は優遇されているので、こういうときには助かる。コミッティーチョークからダイヲーのバス停まで80ルピー。これには参った。(当時の地元プライスは20ルピーくらい)もう、あわてても仕方がないので、成り行きにまかせようと心に決めた。サマジャンともアジハッサンとも連絡が取れたし。・・(クエッタにいるパキスタン人の友人)時間ができたのでインド地震のことを思い出した。インド地震のブジーだが、パハールガンジーで聞いたところによると、前グジャラート州知事がNGOの援助金を横領していて更迭されたようだ、その後復興はいまいち進んでいないとのこと。なんとか時間を作って取材してみたい。殆どの日本人が忘れているインド地震のその後を。
17:30ラホールに着く。イドレス(パキスタン人の友人)はラマダン明けのパーティーのため忙しいようで、仕方がなくホテルを探す。ラホールは泥棒宿が有名で、駅周辺のホテルのに泊まろうと思ったが、タクシーの運転手の薦めで違うホテルに泊まることになる。安全をお金で買ったと思おう。荷物を盗まれたら元も子もないから。精一杯値切って1200ルピー。確かに部屋は目茶豪華。こんな豪華なところに一日、トランジットで泊まるのはもったいないくらい。明日はようやくクエッタへ・・



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