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北朝鮮日記
フォトジャーナリスト久保田弘信公式サイト



前回はフセイン大統領と2ショットを撮った。
今回は金親子と2ショットを撮ってみた。

4月1日にイラクから帰国して以来、色々な事がおこった。イラクでは戦争中より激しい戦争が続き、日本人にも犠牲者がでてしまった。4月に帰国してから三度イラク行きを考えたが、どうも無事で帰って来る自信がない、しかも命をかけても報道が成り立たない日本の現状を見てしまい、取材らしい取材に出かけていなかった。
 思えばここ数年、本当にあちこちに行ったものだ。ふと考えてみるとアメリカが嫌いな国ばかり訪れている。別にそうしようと思ったわけではなく、人の縁で導かれるように訪れただけなのだが。そしてふと気づくとブッシュ君が悪の枢軸と言った国を二つも訪れていた。そーっかー!後一つ行くと「悪の枢軸」を制覇できるんだー。イラクに行って痛感した。国が、政治が悪いからといって国民全部がわるいわけではない。と。恐らく「悪の枢軸」最後の国も同じだと思う。悪いイメージの報道しか入ってこないから、ついつい国民全部が悪いと思ってしまうだけ。と言っても実際に行ってみないことには分からない。今回は「悪の枢軸」最後の国を訪れてみたいと思う。
 出発前、四谷の甲州街道沿いの歩道で犬の糞を踏んでしまった。準備が大変だな思
い、ぼーっとして歩いていたのが良くなかった。しかも打ち合わせに行った後でいい靴をはいていた。フェラガモ!といってもバーゲン品でちょー安かった。(僕のサイズが25センチで最後の売れ残り)しかしショックだ。犬の糞を踏むなんて何年ぶりだろう。これは運がいいのか悪いのか・・・
 15:00北京に降り立つ。パキスタンに行くときに何度も北京には来たが、地面に降り立つのは今回が初めてだった。PIAの窓から見た通り北京空港はとても大きかった。予定よりかなり遅れているのが気がかりだ。今日中に大使館に行ってビザを受け取らなければならない。初めての北京で何も分からない僕は案内所のお姉さんに大使館の場所とタクシーの事を聞いた。お姉さんは親切に「高速道路は高いので、時間がかかっても一般道で行く方がやすいですよ」。と教えてくれた。高速料金は10元=150円程だった。
さんざん心配したが、出口には向かえが来ていた。車に乗り込み大使館に向かう。渋滞がすごいのに驚く。
大使館に着くとビックリ。かなり大きな建物。入り口さえ分からない。自分でタクシーをつかまえて来た事を考えるとぞーとする。まあ僕個人で来ていたら、余裕をもって北京に2泊するだろうけど。待つこと約一時間、ビザを取得できた。僕より先に来ていたヨーロッパのお姉さんはまだもらえていなかった。ガイドの張さんに感謝。ホテルはもったいないくらいの立派なものだった。
 今回一緒に行く藤川さんはタイのまじめな?お坊さんなので朝と昼にしか食事を摂らない。ホテルのレストランはイヤだったので、外にでて地元のレストランを探す。
何件かまわって、地元の人たちで賑わう食堂に入った。チャーハンかラーメンか迷った挙げ句ラーメンを食べることにした。美味しいとは思うが、少し味が薄い。分かっていて塩をかけていたら食堂のお姉さんが「あらダメよ、それは塩よ!」と言ってきた。もう少しかけたかったが申し訳ないのでやめた。
近くで食事をしている人が新聞を熱心に読んでいた。見出しは「中日潜水艇・・・」中国の新聞にはどのように書かれているのかとても気になった。翌日ガイドの張さんに聞いてみると、潜水艦のことは全く知らなかった。テレビのニュースなんかではやってなかった?と聞くと一切そんなニュースはないと・・。そうかよく考えたら自国が潜水艦を日本近海まで行かせたなどというニュースが流れる訳ないよな。張さんは賢いので「私たちは衛星放送も見れない。政府が管理したニュースしか受け取れない」と話してくれた。戦前のイラクを思い出し。外国から見たら日本も同じではないかと少し恐くなった。

中国の潜水艦に関する新聞記事を読むおじさん。

北京で食べたエビワンタン麺


11月16日
到着
ピョンヤン到着14:15
 空港は空爆を受けた後のバグダッド空港よりボロかった。
荷物が出て来た時間15:15。僅か200人弱の荷物が出てくるのに一時間がかかった。原因の一つは荷物の多さ。一人に対して二つどころか平均したら一人あたり4〜5の荷物を預けている。もう一つの原因は電力。度々ベルトコンベアーを止めて係員が荷物をだしていた。
 ようやく荷物を受け取り、税関へ。毎回ここが緊張する。別に北朝鮮だからではなく、どの国に行っても荷物をチェックされるのは嫌なものだ。すぐに税関に行けると思いきや、ここでも長蛇の列。人が列を作っているのではなく荷物が列を作っている。
ようやく僕の順番かと思いきや、前の人の荷物は10個以上!それらが全部チェックされるまで10分以上かかった。ようやく僕の順番が、申告用紙を提出して荷物をX線検査機の中へ。コンピュータ、カメラ・・・。しかし何も言われることなく無事に通過できた。これはアメリカよりゆるい!アメリカでは靴まで脱がされてしまった。
日本人の常識からすれば絶対北朝鮮の方が厳しいと思うだろうが、圧倒的にアメリカの方が厳しい。これで荷物がでてくるのさえ早ければなんの問題もないのになーと思った。
 荷物検査が終わると「久保田さんですか?」と流ちょうな日本語で話しかけられた。
早速ガイドのご登場。ガイドの人は二人もいた。洪さん40歳と李さん37歳。「宜しくお願いしまーす」といいつつ車の中へ。
ピョンヤン市内までは30分ほど。車の中から見る北朝鮮は一言で言うと寂しげだった。人の数が少ない。笑顔がない。なんとなく予想はしていたが、やはり驚く。本当はカメラを出したいのだけど、初日なので我慢する。道中「久保田さんは○○歳ですね」と言われた。素晴らしい記憶力。年齢くらいは良かった。しかしその次ぎに出た言葉で僕は氷ついた。「久保田さんはフリーカメラマンですよねー」と言われた。ですか?でなくですよねーだった。これは正直に言うしかない。「そうでーす」と引きつる顔を笑顔に変えて答えた。さすが、よくご存知で。と僕は心の中でつぶやいた。
ホテル
僕が泊まるホテルは高層ホテル僕の部屋は37階。さすがに景色はすごい。困るのは
エレベータ。ホテルを建築したのはかなり前、それ故にエレベータが遅い。まあ、最近の日本のエレベータが速すぎるのだろうが。
普通、37階ものホテルだと絶対に窓は開かない。ここもあかないと思いきやワイドオープン!さすがに37階だけあって風がすごい。ちーと怖いと感じつつもガラス無しで写真を撮れることに歓喜する。



ピョンヤン全景。
ホテルの37階からはピョンヤン市内が一望できる。夕暮れの景色は最高だった。
しかし、何か違和感があると思っていたら、高層ビルの窓が暗いことだった。




夕食はホテルではなく市内のレストランに向かう。車で向かうが暗い道を沢山の自転車が走っている。車が止まりレストランに到着したと思ったが、暗くて何も分からなかった。中にはいると暖かく、ウエートレスのお姉さんも綺麗で一安心。料理は鍋!
うん、とっても美味しかった。無理と思いつつガイドに頼んでみるといとも簡単にお姉さんとの記念撮影ができた。


断られるかと思ったが、簡単に記念写真に写ってくれたお姉さん。



よど号のメンバー

食事から帰ってくると案内人の一人が喫茶店の方に入っていった。早く部屋に戻りたいのに、と思っていると、ヨド号のメンバーがホテルにいた。いつ会えるかと思っていたら先方からホテルに来て待っていてくれたようだ。犯罪容疑者という意識はあまり無く。普通に海外で日本人と会えたと言う気持ちのほうが大きかった。僕の知識のなかでヨド号事件に関わった人たちが人質を殺してしまっていたらこんな感覚にはなれなかったと思う。よど号犯の最初の印象は、普通のおじさん!だった。
藤川さんと話す小西さんと若林さん。なんだか哀愁が漂う。時々目頭に涙を見ることも・・。日本に帰れば、刑務所暮らしが待っていてもやはり日本に帰りたいんだろうなー。30年北朝鮮に住むのはどんなものだろう?と想いをはせる。話の中でポロリと出た言葉。「ハイジャックという形でなくても良かった思う」。学生運動の盛んな時期、若気の至りだったのかな?僕は興味本位にハイジャックの様子を聞く。素人の集まりで起こしたハイジャック、なんともお粗末なものだったようだ。
インタビューが終わったのは12時過ぎ。北朝鮮初日としてはハードな一日だった。
藤川さんと話す小西さんと若林さん。なんだか哀愁が漂う。時々目頭に涙を見ることも・・。日本に帰れば、刑務所暮らしが待っていてもやはり日本に帰りたいんだろうなー。30年北朝鮮に住むのはどんなものだろう?と想いをはせる。話の中でポロリと出た言葉。「ハイジャックという形でなくても良かった思う」。学生運動の盛んな時期、若気の至りだったのかな?僕は興味本位にハイジャックの様子を聞く。素人の集まりで起こしたハイジャック、なんともお粗末なものだったようだ。
インタビューが終わったのは12時過ぎ。北朝鮮初日としてはハードな一日だった。
ようやくにして自分の部屋に戻ってきた。
ホテルのテレビは衛星放送がみれて、NHKまで映る。ところが僕の部屋はテレビが映らない。どうせ見る暇ないんだけど映らないと悔しい。今回、一人部屋なので一人で「喜び組みと会いたいー」と叫んでいると本当におかしな日本人と思われてしまうので、「NHKが見たいよー」と叫んでみる。はたして願いは叶うのだろうか?


11月17日
 ピョンヤンの朝、空気が美味い。 少し冷たいが新鮮な空気だ。 田舎に来たような新鮮な冷たい空気だ。ピョンヤンは北朝鮮の首都で人口も多いし、近代的なビルが立ち並んでいる。町中の道はみんな広い。片側3車線は当たり前。しかし車の数は圧倒的に少なく、勿論渋滞もない。そりゃー首都でも空気がおいしいわけだ。北京の恐ろしい渋滞に比べれば天国だ。これが、この空気のおいしさをキープしている。民間人の交通機関としてはトローリーバスや路面電車がかなりの本数走っている。ガソリンを使わず、電気を使っているからかなりエコ。東京もこのくらいだと良いのになー。

町中の遊園地。
北朝鮮の中心部を観光する。しかしどこへ行ってもガイド人はここは金日成主席が・・。金 総書記が・・。と言う具合で二人のご自慢話ばかりなので、もっと違うことが知りたいし、見たいと思った。そんな中、初日からチャンスがあった。藤川さんがお寺を見たいとお願いしていたので、町中にある小さなお寺に連れて行ってもらった。そこには遊具が動いていない遊園地があった。
遊園地に北朝鮮の子供達がいた。聞いてみると地元の中学生で、自然観察に来ていた日本でいえば社会課見学といったところか。声をかけて写真を撮ろうとしたが、子供達はあと一歩が踏み出せないようだった。洪サンにお願いして呼んでもらっても照れてなかなか近くに来てくれなかった。このところ訪れた国アフガニスタン、イラクなどと比べると全く逆の反応だった。イラクは社会主義国だが、子供達は僕の周りにうるさいほどに集まってきた。同じ独裁国家でもまったく違う国民性だと思った。やはり来てみないと分からないと痛感した。本当をいうと何となく想像はしていた反応なんだけど。子供たるもの見知らぬ外国人に興味が無い訳がない。結局、日本人である僕に近づいていいのかどうか、先生の判断を待っていたようだ。近くに来てみれば、やはり子供はどこでも同じ。
いい笑顔の写真を撮ることができた。





チュチェ思想塔へ
家族連れがいて,写真を撮ると、お父さんが子供の手を取り、一列に並んで歩いて来てくれた。これは北朝鮮人のサービスだろう。
僕はチュチェ思想なるものの存在すら知らなかった。しかも日本にチュチェ思想の研究グループがあって、チュチェ思想塔に紹介してあったのは驚いた。
チュチェ思想の見学が終わると今度は革命記念館へ連れて行ってもらった。。長い。長すぎる一時間以上も日本の戦争犯罪を見せてもらった。
最初は興味深げに見ていたが、そのうち説明を聞くのもイヤになってきた。藤川さんには悪いが、説明を聞くのを藤川さんに任せて、僕は撮影に専念していた。北朝鮮の若い兵隊さん達が教育を受けていた。僕が聞いたのと同じ反日教育がなされているかと思うとぞっとした。
日本はどうだろう?反北朝鮮教育をしているのだろうか



平壌の中心部にはチョンリマという銅像がある。その昔、一日に千里も駆けたという伝説の馬だ。その写真を撮ろうとしたとき。ガイドがここから撮ればいいですよ。と言ったが、どう考えてもアングルが悪すぎる。僕は小高い丘の上にいたが、「下から撮った方が格好いいし、せっかくだから下から撮りたいんだけ ど・・」とお願いした。ガイドの人はイヤそうだったので、「僕一人で行って、ダッシュで撮影してくるよ」といい。丘を降り始めた。
> そのとき一人のおばあさんとすれ違った。僕は「どうも・・」と挨拶をした。
おばあさんは驚いた顔で「あれ!日本語はなせるの?」と言ってきた。「ええ、 僕は日本人でしから」と。「あらまーうれしいねー。私は今でも日本語は十分はなせるよー」。聞けばおばあさんは日本人だそうだ。87歳で現地での名前だ けを聞かせてもらった。おばあさんと話しているとガイドの李さんが来た。おばあさんは突然、話を変えて「北朝鮮はいいところだから、日本に帰ったら大勢 の前で宣伝しなさい」と話してきた。おばあさんは僕の写真を欲しがったが残念なことにそのとき写真を一枚も持っていなかった。僕は李さんにお願いして二人の記念写真を撮った。おばあさんは次回は是非私の家に来てくださいと言ってくれた。本当はその場で招待したいという気持ちが表れていた。何とかおばあさんが元気なうちにおばあさんの家を訪れたいと思う。

お昼ご飯はよど号メンバーの小西さんと若林さんと一緒。北朝鮮といえば平壌冷麺。冷麺が美味しいと評判のギョクリュウ館で待ち合わせをした。程なく現れた、小西さんと若林さん達とお食事をする。
ここはプライベートなのでカメラはご遠慮くださいと。僕自身、食事の時まで無遠慮にカメラを回し続けるのは本意ではないので、撮影はしません。と笑顔。
噂に聞いた平壌冷麺はとても美味しかった。驚いたのはみんなの食いっぷり。
小西さん、若林さん、藤川さん、三人とも追加の麺をオーダーした。みんな還暦前後の人たちなのに。僕はいいです。と一度いったものの、周りの勧めもあり、やはり食べることにした。「歳をとったみなさんに負けていてはダメですよね!」というと、小西さんが「そりゃーそうだ。若いうちは沢山食べなきゃ」と。なんでもよど号のメンバーが北朝鮮に来た当時には4杯も食べたそうだ。 昼食が終わると、ガイドから「これからホテルに戻ってしばらく休みます」と言われた。なんだよー。一度ホテルに帰って休むなんて、そんな時間があったら小西さん達とお茶でもしたかった。どうも色々なご都合があるようだ。
ホテルで2時間近く休んだ後金日成の生まれ故郷を見に行く。
金日成の生家はどうでも良いが、修学旅行生が沢山来ていて面白かった。平壌の子供達とはあきらかに服装が違う。どこから来たのか訪ねると。北の方から三時間くらいかけて来たという答えが返ってきた。「北ってどのあたりなのですか?」と詳しく聞くと通訳は答えてくれなかった。「田舎ものですから・・」
と、田舎者の朝鮮人を見られたくないようだ。


夕食


藤川さんが夕食をとらないので、僕一人の夕食。今日はヤンガクドウホテルで初めての夕食。
う!美味い。最初に出てきたもので全部を思いきや、後からご飯とわかめスープが出てきた。食べきれない程の量だったけど、何処かにいるかもしれない食料に困っている北朝鮮の人の事を思うと残す事ができなかった。
食事を終え、お茶を飲んでいると何となく見覚えのある人が食堂に入ってきた。食堂にある鏡越しに目で挨拶をして「こんにちわ!」と言う。国が国だけに先方は驚いた顔。不審者と思われたくない僕。すぐに「何処かでお会いしましたよねー」いかん、いかん。ますます不審者っぽい。ところが頭が混乱してどこで
会ったか思い出せない。僕が黙ってしまったらますます不審者と思われてしまう。
必死で記憶をたぐるとNGO関係者だという手がかりがでてきた。「アフガニスタンかイラクでお会いしていませんか?」先方はますます不思議な顔をしている。やばいぞー。「確か何処かのNGO関係の人ですよねー」。「イラクには行きましたけど・・」
つながったー。「そうだピースボートの人ですよね」ビンゴー。彼女はピースボートでイラクに来ていてパレスティナホテルで出会っていた。全く奇遇としか言いようがない。イラクで会って日本では再会できずに北朝鮮で再会するとは。これも何かの縁。「よく覚えていましたねー!」僕は映像の世界で生きていますから、一度会った人の顔は忘れませんよ。覚えていても誰か思い出せないのであまり意味はないのだが・・。
彼女は在日の韓国人張さんだった。折角なので少しだけお茶をしながらお話をさせてもらった。ピースボートの人達は拉致問題と核の事をお話しにきたそうだ。日本に帰ったら是非お会いしましょうといってお別れした。
日記を書きながらテレビをつけると、まさに拉致問題のニュースをやっていた。北朝鮮にいて拉致問題のニュースを見るとは。ガイドの二人も見てるかな?無理だろうな。 おや?NHKが映った!やはり北朝鮮は望みがかなう国だった。


11月18日
今日は日程が厳しい。
最南端の国境から北の妙高山まで行く。本当は別の日に38度線を訪れる予定だったが、急遽変更になり今日国境を訪れ、そのまま妙高山に行くことになった。後で分かったことだが、38度線を訪れる中国人の団体さんと僕たちは一緒にされたようだ。確かに日本人二人の為に国境沿いの兵隊さんたちを動かすのは大変だからなー。
まずは南に下って、開城のお寺に行く。北朝鮮にきて3件目のお寺、安和寺を訪れた。今まで2件のお寺を訪れたが、いずれもお坊さんは出張中で会うことができなかった。もう北朝鮮ではお坊さんに会えないかと思っていたが、3件目の安和寺でようやくお坊さんに会うことができた。

かつて高麗時代に大学として使っていた所へ行く。かつては北朝鮮に仏教がかなり浸透していたということがよく分かった。しかし!説明が長い。日本のお寺に行ってもこんなに長くは見ない。(ちなみに僕はかなりお寺好き)。戦争中に日本軍が攻めてきて、王様の棺と宝物を7トンもっていってしまったそうだ。そんな事実はあったかもしれない。しかし、部屋の大きさを見るとどう考えても7トンもの品物が入るとは思えない。かつての日本軍がした事は認めるけど、 そこまで大げさに言わなくてもいいのになーと思った。板門店に向かう。軍事境界線はピョンヤンがら100キロ以上あるが、ソウルからは60キロしかない。国境に着いたとき、このままピョンヤンに帰るより、ソウルに行った方が近いし、僕の友人とも会える。しかし決して行くことができないのを悲劇と感じる。北朝鮮に着いてまだ間がないのに既にかなり疲労していた。一日中ガイドの人と一緒というのは結構疲れるもんだ。もともと、僕は海外でツアー経験が殆どない。見たいものを見、行きたいところへ行くという長年の習慣も災いした。
今日は本当に長旅だった。北朝鮮の南の端から北まで。さすがに外の景色をみるのにも飽き、途中かなり深い眠りについてしまった。
妙高山に着いたのは7時過ぎ。さすがに寒い。しかもホテルが暗い。何故かドアに鍵がかかっていて、ガイドがドアを叩いてようやく中から人が出てきた。平壌のホテルが快適だっただけに不安がよぎる。ホテルの中もさすがに寒い。唯一の救いは僕が泊まる部屋の中だけは暖房がきいていたことだ。北朝鮮の来客(外国人)対するもてなしの気持ちの表れだろう。ホテルに入った時はついに寝袋の出番か?と思った。到着がかなり遅くなったため、すぐに夕食を食べに行く。レストランというか食堂がメチャ寒い。しかし、ここでも食事はとても美味しかった。
食事が終わると、「今日は飲みましょう!」とガイドの洪さんに誘われた。お財布のことが気になったが、酒を飲めば色々な話もできるだろうと思い、飲むことにする。ビールに始まりウイスキー。お姉さんと沢山話した。実はお姉さんに話すようにしながら、僕の本音としてはガイドの二人に話しているつもりだった。さんざん飲んだ。お姉さんはポロリ、ポロリと本音を話してくれた。お陰様でとても有意義な時間だった。もっと北朝鮮の人と触れ合わなければこの国の事は分からないと思った。かなり長時間にわたって飲みまくった。会計がこわいなーと思っていたけど、なんと千円だった。
ピョンヤンでコーヒー飲んで2000円近い・・やっぱ安いのかなー。


11月19日
普賢寺へ
普賢寺は11世紀初め(高麗時代)に建てられた由緒正しいお寺。残念なことに、お坊さんには会えなかったが立派なお寺だった。ご本尊に大日如来がいた。
日本で言うところの真言密教のルーツがここにあった。僕は日本でよく京都の東寺に行くが、東寺と同じ大日如来だった。仏教美術が好きな僕にとっては楽しい観光の時間だった。
お寺の観光が終わると交際親善展覧館と言うところに連れて行ってもらった。どんな所かと思いきや、金日成、金正日に送られた数々の贈り物が展示してある場所だった。入館してすぐに僕はこの場所から立ち去りたかった。ガイドの話もひたすら金主席に対して諸外国の信頼が厚いからこれだけの贈り物が集まるんですと繰り返す。贈り物は確かにすごい!中にはこれは国宝級だと思われるものも沢山あった。日本の各テレビ局からの贈り物もあった。これだけの物があっ何人、何百人の人が飢えずにすんだかと思うと腹が立ってきた。しかしここで僕が思うことをすべて話したら、果たして僕は帰国できるのだろうか?と想像したとき、僕は北朝鮮に来て初めて恐怖を味わった。よく考えたら初日到着してすぐにパスポートとエアーチケットを預けたまま返してもらっていない。何かがあっても僕が日本人だと証明することができない。これは恐いですよ。思っていることを話せないと言うことがこれほど苦しいとは思ってもみなかった。
交際親善展覧館を見学した後、一度ホテルに戻り何故か3時出発と言われた。折角北朝鮮の北部に来たので、交際親善展覧館だけでなく、近くにある綺麗な滝を見に行きたかったが、交渉するのも面倒でやめた。

11月19日
普賢寺へ
普賢寺は11世紀初め(高麗時代)に建てられた由緒正しいお寺。残念なことに、お坊さんには会えなかったが立派なお寺だった。ご本尊に大日如来がいた。
日本で言うところの真言密教のルーツがここにあった。僕は日本でよく京都の東寺に行くが、東寺と同じ大日如来だった。仏教美術が好きな僕にとっては楽しい観光の時間だった。

北朝鮮のお寺にあった大日如来。

中学校へ。
平壌に帰ると、少し遅くなったが中学校へ行きましょうと言われ、中学校を訪れた。教員を目指していた僕としては学校へ行けるのはとても嬉しいことだ。学校の作りは日本の学校ととてもよく似ていた。いくつかの教室を回り、授業風景を見せてもらった。いろいろな授業を見せてもらったけど、とりわけ興味深かったのは理科の授業だった。ある教室では化学反応の実験をしていた。水酸化ナトリウムと塩酸を混ぜて塩基ができるという実験だった。理系の僕にとって は得意分野!言葉は通じなくても、化学式は万国共通だというのが初めて感じられた。もう一つの教室では、顕微鏡でジャガイモの細胞を見ていた。顕微鏡を使用するときはミラーに光を十分当てるのが鉄則なのだが、午後4時をまわった教室は 暗く、電気がつけられていないのが印象的だった。これじゃあ、細胞はほとんどみえないだろうなー。と思っていると突然ガラスの割れる音が教室に響きわ たった。生徒の一人がプレパラートを割ってしまったのだ。一瞬教室に冷たい空気が流れる。割った本人は顔面蒼白。もう見えるはずがないのに割れたガラス を覗きこんでいた。案内の人が「さ、次の教室にいきましょう!」と僕たちを促した。僕自身、中学の時にあれほど先生に注意されていたのにもかかわらず、 プレパラートを割ってしまったことがある。実験に失敗などつきものなのだから、それほど気にしなくてもいいのにと思った。
理科の教室を見終わった後に、会議室のような部屋に案内された。部屋に入ると音楽がながれ、テレビで見たような子供たちの踊りと音楽を聴かせてもらっ た。これはあまり嬉しくなかった。


化学の実験をする69中学校の子供たち。

学校見学が終わり、そとへでるともう暗くなるのに校庭でサッカーをする子供達がいた。奥の方では鉄棒をしているこどもも。なんだか見せられている気がし た。僕が車に乗り込み帰る寸前、校舎の裏で模型の鉄砲をもって戦争ごっこをする子供を見てしまった。これは予定外だったのだろう。僕のカメラに気づくと 子供達は校舎の裏に逃げていった。学校に行けたのはとても良かった。欲を言えば、北朝鮮の学校生活の一日を見たかった。給食はあるのか、お弁当なのか、 昼休みはみんなであそぶのだろうか。次回チャンスがあったら一日学校ですごしてみたいなー。
今日の一日はとても長かった。すぐに眠りたいとも思ったが、ガイドの人を呼んで一緒にビールを飲むことにした。このまま革命だ、戦争だ、と宣伝ばかりを
見せられても北朝鮮に来た意味がない。なんとかこちらの希望を伝えるために一杯飲みながら話をしたいと思った。ラッキーだったのは李さんが疲れていたよ うで、一緒に飲んだのが洪さんだけだったことだ。洪さんは間違いなく北朝鮮の旅行社のガイド。しかし李さんはどうも政府の息が強くかかっているみたい だ。飲みながらの話で、途中「キムジョンイルさん」と言って怒られてしまった。将軍か総書記と言ってくださいと言われた。酔った勢いとはいえすいません でした。ともあれ洪さんは一人の観光客としての要望を聞き入れてくれた。それが結果につながるかどうかはこの国がどう判断するかにかかっている。ともか くこちらの気持ちを伝えられたのはよかったと思う。明日に期待。

11月20日
朝の気温は0度から1度くらい。とっても寒かった。
広法寺というお寺を訪れる。34歳の若いお坊さんがいた。というだけで、あまり多くの印象がないお寺だった。ヘルスセンターに行く。
あまりにも北朝鮮の歴史や革命ばかり見る行程になりつつあったので、もっと違う所が見たいと昨晩洪さんに話した。無理かなー?とは思っていたけどヘルスセンターに行く事になった。ヘルスセンターの近くには拉致被害者の招待所があるらしく、近くを見れたらいいなーとも思っていた。
ヘルスセンターは床屋、美容院、エステ、お風呂、そしてプールまでそろっている総合施設だ。係の女の人が丁寧に案内してくれた。せっかく北朝鮮まで来たので、髪の毛を切ってもらうことにした。担当した女性はとても上手に切ってくれた。あちこちの国で散髪してもらったが、技術的には北朝鮮が一番かもしれない。
しかし、この時はたまたま訪れたヘルスセンターが後に大きなニュースになるとは全く想像できなかった。帰国後、北朝鮮の男性の髪の毛の長さが5センチであるべきだというニュースがながれ、ヘルスセンターの映像がテレビで流れることになった。遊び心のある某ディレクターは僕が髪の毛を切られている映像を全国に流してくれた。イラクに引き続き北朝鮮でも髪の毛を切るシーンが使われてしまった。僕の自慢はアメリカの某大統領が「悪の枢軸」と呼んだ国を全部訪れたこと。それだけなら他のジャーナリストも経験していると思うが「悪の枢軸」すべてで髪の毛を切ってもらったジャーナリストは世界広しといえど僕の他にいるだろうか?自己満足だけであまり自慢にはならないね。といいつつこの日記は何故かイランで書いている。3月13日。

昼ご飯は冷麺!
今日のお昼ご飯は有名な平壌冷麺。よど号のメンバーが誘ってくれた。平壌一美味しいと言われる冷麺やさんに連れて行ってもらった。 よど号のメンバーはみんなもう還暦が近い年齢。なのにみんなよく食べる。藤川さんはお坊さんなので夕食を摂らない。それ故、お昼に沢山食べる傾向がある。一番若い僕が一杯の冷麺で結構満腹感を味わっていると、「久保田さん追加の冷麺はいいんですか?」と若林さんに言われた。僕は結構です。っと一度言ったものの、おじさん達がみんな追加するので、「やっぱ僕もお願いします!」と言ってしまった。負けず嫌いです。食後のアイスクリームを食べながら若林さんが、ここ(北朝鮮)に来たころは10杯食べたよ!と話してくれた。想像を絶する食欲だ。>食事が終わると、何故かホテルに帰り、3時まで休憩。今日は風も強く寒かったので別にいいやーと思ったが、そうでなかったら時間がもったいない、しどこかへ連れて行ってくれとお願いするところだ。 北朝鮮まで来てサーカスを見るのもなんだなー。と思っていたが、友人記者のYさんも北朝鮮に行ったら是非サーカスも見てきた方がいいよ。と勧めてくれていたのでオプションツアーであるサーカスを見に行くことにした。 サーカスはとても面白かった。よく考えたら、サーカスは小学生の頃一度見たきりだった。会場にはほんの少し外国人がいたが、殆どは北朝鮮の若い兵隊さん達だった。彼らがサーカスを見て笑う姿を見ると何故か悲しくなってきた。戦争博物館で反日教育を受けているときのしかめっ面の兵隊さんたち。目の前でサーカスをみながら笑い転げる兵隊さんたち。 僕は笑顔の方が好きだなーサーカスを満喫し、ホテルに帰ってくると、小西さん、若林さん、阿倍さんがきていた。若林さんと長時間話す。よど号をハイジャックしてしまった若林さんがアメリカかぶれのロン毛の若者だったとは、想像しづらいなー。

11月21日九月山へ
北朝鮮は日本の山岳部に似た風景が多い。九月山も日本人としては海外にいるという感じを忘れさせてくれる。そんなやさしい風景だ。九月山にある月精寺を訪れる。ここのお坊さんは雇われのお坊さんみたいな感じだった。お坊さんが「将軍さまから頂いた時計なんですよ」と時計を自慢していた。ここで藤川さんが一言「坊主というのはあんなんと違うんや!」。つまり本当の坊主とは物欲などもってはいけないということなのだろう。これに関しては、日本の坊さんもどうかと思う。 さておき、このお寺にはおばあさんがいた。おばあさんは片言の日本語を話し、自家製のキムチをご馳走してくれた。これはとってもおいしかった。近くには渓流がありとても綺麗な場所だった。


お寺の山門には日本とは少し違った仏像が。

ここのお坊さんは北朝鮮で出会ったお坊さんの中で二番目にいいお坊さんだった。成仏寺のお坊さんは僕たちを最後まで見送ってくれた。 JA;mso-bidi-language:AR-SA'>ホテルに帰ってきて、レストランでテレビを見ながら夕食を摂った。テレビの交際ニュースが面白かった。最初はアラファトさんの死去のニュースで始まり、イラン、イラク、アフリカとニュースが続いたが、日本では決して流れないアメリカの横暴を流していた。この国は間違いなく偏っていると思うが、日本が流さないニュースを流しているのも事実だ。
11月22日
ピョンヤン駅。
モランボン公園。
百貨店。
アヒル料理。
統一市場を訪れた。
統一市場には様々な商品が並び、活気にあふれていた。僕は「市場をみてビックリしたよ。この国は物がなくて困っているというニュースばかり聞いていたからね。すごいじゃん、いっぱい食料もあるじゃん」。「ええ、物は一杯あるんです。でも買うお金がないんですねー」
彼は度々言っていた。北朝鮮は人が社会の為、社会が人のためこの理想を実現している一番いい国だと。社会主義とは一部の人たちだけが裕福になるのではなく、富は平等に分配される国ではないのか。物が一杯あるのに一般市民がそれを手にすることができない。北朝鮮という社会主義国で育った彼はその理由を考えた事があるのだろうか?
11月23日
08:37dep.
長かった。これほど長く感じたことはない。ようやく北朝鮮から出国できる。今回はさすがに日本が恋しかった。未練が皆無とは言わない。もう少し自由に北朝鮮を見れる物ならあと数日くらいはいてもいいと思う。しかし今回はあまりにも息が詰まるような旅だった。
9時45分ほぼ予定通りに北京に到着した。中国に着いたとき。「王様の耳はロバの耳ー」と叫びたくなった。
藤川さんの知り合いのスーさんと一緒に飲茶に行く。美味しかったー!あまりに美味しくて写真を撮る事を忘れてしまった。
北京でNHKニュースを見た。横田めぐみさんの遺骨の鑑定に関するニュースをやっていた。残念なことに北朝鮮の人々はこの事件に関して本当に何も知らない。北朝鮮での疲れを癒すためスーさんおすすめのマッサージへ行く。マッサージ(60元)をしてもらってから夕食にでかける。マッサージが終わると9時をまわっていて、殆どの店が閉まっていた。カンだけを頼りに歩き、前回同様に地元の食堂をみつけ入る。案の定、英語は通じない。文字を書けば何とかなる と思った僕が甘かった。とりあえずチャーハンはオーダーできたが、もう一品オーダーするのが大変だった。僕の先輩カメラマンで中国人(顔)の人がいて、港に行きまくっている人がいる。そーいやー「メーウェー」とか言ってたなー。と思い出し。美味しい料理を頂戴!と言ってみる。店員のお姉さんが集まってきて、大笑い。ここは運を天にまかせ。これ頂戴、と指さす。はたして出てきたのは限りなくチンジャオロースに近い物だった。少し塩味がきつすぎる感はあったが美味しかった。勿論、食堂にいた日本人は僕だけ。でも笑いの中でなんとか意志の疎通ができた。これだよなー!この感覚が旅をしてると実感できる瞬間だ。北朝鮮では日本語の通訳がついて困ることは無いはずなのに、今夜のような喜びがなかった。
11月24日
北京にて
久しぶりによく寝た。やはり北朝鮮にいる時よりぐっすりと眠ることができた。
何となくの独り言。
近代化=欧米化。この図式をいかに処理するか。サウジアラビアがそうだったように。誰しも自分たちの生活レヴェルを少しでも向上させたい、しかしアメリカやフランスの真似をするのはイヤだ。自国持つ伝統文化や宗教などを維持したまま近代化を図りたい。サウジアラビアは何とかイスラムを守りながら近代化を図った。北朝鮮はどのみちを選ぶのだろう。日本もそうだが、近代化の陰でいくつもの弊害があるのも事実。
サウジアラビアには石油という大きな武器があった。その武器をうまく使いながらアメリカとうまくやってきた。北朝鮮にはそれがないかもしれない。
11月25日

昨日から北京では突然,冬が始まってしまった。イメージ的に北朝鮮の方が寒い思いがちだが、今回に限れば間違いなく北京の方が寒い。
ようやく日本に帰れる。たかだか10日間なのに一ヶ月以上に感じる。タクシーで空港に向かう。32元。うーん安い。
北京の空港は来たときも緩かったが帰りも緩い。普通フィルムをX線セーフティーパックに入れていると、必ずバッグを開けられるが全くのノーチェック。コンピュータもバッグの中に入れっぱなし。羽田なら絶対に開けられる。チェックインもスムーズ。スーツケースは間違いなく20キロを越えているが、これに関しても何も言われなかった。イミグレーションも空いていて、あっという間に出国手続きができた。

落とし穴
定刻通り飛行機に搭乗する。A-320が滑走路に向かう。滑走路手前でJALに抜かれた。いーな、JALは、僕は勝手にJALが日本に向かうと思い込んでいた。その後、色々な飛行機に抜かれ中国東方航空ななかなか離陸しない。15:40ようやく離陸すると思いきや離陸寸前で我が飛行機は駐機場へ戻ってしまった。何か機体にトラブルがあったようだ。早く帰りたいと思う時に限ってこんなんだ。これが日本のエアーならちゃんとした状況説明があるのだろう
が、そこは中国東方航空。なんのトラブルがあったか分からないまま10分がすぎさった。機体を変えるといってもそんな予備がすぐにでてくるとも思えない。飛行機のトラブルなんてパプアニューギニア以来だ。あの時は4発のうちの一つのエンジンが止まっていた。経由地で機長自らがエンジンを修理していた。あのときはマジで飛行機を降りたかった。はたして今回は?あら?飲み物が出てきた。とりあえずは乗客を乗せたまま機体チェックをするようだ。
16:00シートベルト着用サインが点灯する。ん?飛ぶのかな?16:05機が動き出す。大丈夫かなー?結局なんのトラブルだったのか全く分からない。
まさか燃料を入れ忘れたなんて落ちはないだろうな。日本まで落ちずに飛んでくれよ。北京は市内だけでなく空港も大渋滞だ。離陸を待っている飛行機が沢山。17:45ようやく離陸。日本まで落ちずに飛んでくれよ!北朝鮮から出てきたのに帰国の飛行機で事故死なんて笑えない。飛行機は無事に成田に着いたが、着陸の時も大きく左右に振れた。どれだけ乗っても飛行機が怖い僕。
北朝鮮日記。完。


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