久保田弘信シリア日記
2007年12月12日〜 その2

HOME


16日
日本のオフィスから僕が訪れる事を連絡しておいてもらったのだが・・。
どうもうまく伝わっていないらしい。
教えてもらったPIオフィサーの携帯電話は全然つながらない。
これはもう現場へ行くしかない。ということでドライバーに「UNHCRへ行ってほしいんだけど」とお願いするが
勿論、UNHCRがどこにあるか分からない。国連(UN)なんだけど。と何回も話す。ドライバーは英語ができる
友人に電話をして僕と代わってくれた。同じ事を説明すると、なんとか分かってくれたようだ。
なんとか国連らしき所に着くが、案の定UNHCRのオフィスではなかった。
しかし、ここまでくればもう大丈夫。守衛さんにUNHCRの場所を訪ね、ドライバーに伝えてもらう。
シリアに限らず、どの国に行っても現地の人がUNHCRの場所を知っていることは殆どない。
それ故に今回は日本でオフィスの住所を聞いてきたのだが、その住所にはオフィスはなかった。
ようやくたどり着いたUNHCRオフィスで「PIオフィサーに会いたいんだけど」と話すがどうもうまく伝わらない。
そうこうしているうちにUNHCRのスペイン人スタッフが対応してくれた。
PIオフィサーは会議中で会えないし、日本人のスタッフは外出中だと。電話番号を教えて欲しかったが何故かメールアドレスだけ
教わった。
結局UNHCRのスタッフとは会うことができなかった。しかしこれで一日を終わらせてしまうわけにもいかないので、
昨日見かけたダマスカス大学敷地内にあるUNHCRのテントを訪れる事にした。



テントの周りには沢山の人がいて慌ただしく動いている。
近くにいる人に撮影許可をお願いする。
「僕では判断できないよ〜」と言われたものの、スタッフ、イラク難民の顔のアップを撮影しないことを条件に許可をくれた。
この辺の臨機応変さがうれしい。
偶然だが、今日初めてイラク人に対してATMカードを使った支援を始めた日だったようだ。
一人のスタッフに許可をもらっても他のスタッフから「何してるんだ」と咎められることがよくある。
しかし、このテントで働いているスタッフはみんな親切で撮影に協力的だった。


シリアに来てから満足できるチャイを飲んでいなかった。
リプトンのティーバッグが入ったチャイはどうも魅力がない。
僕としては小さなガラスコップの底に砂糖がたまっているとても濃いチャイが飲みたかった。

撮影が厳しいと分かった以上、何とか情報を収集するためにジャールマーナというイラク人が多く住んでいる地域のチャイ屋さんへ入る。
あった!店先に思い出深い小さなガラスコップが並んでいる。
早速チャイをオーダーし、世間話をする。いつシリアに来たの?僕はね、戦争中バグダッドにいて昨年の7月もバグダッドに行ってきたんだよ。
一度仲間と認めてくれたときのイラク人はすごい。美味しいチャイをもう一杯オーダーし、話を続ける。
片言の英語とアラビア語では会話もとぎれがちになってしまう。
僕は胸のポケットから写真を取り出し「この人を捜しているんですよ」と見せてみた。
当然、知らないよ。という答えが返ってくると思いきや、一人のイラク人Sさんが「おい、これって俺の親しい友人だよ」と叫ぶ。
マジ!彼の家やフラワーズランドで働いていたことなどを総合すると間違いないようだ。
彼自身、僕が宿泊していたフラワーズランドホテルで通訳やドライバーの仕事をしていたらしい。


150万分の1の確率。あなたの友達で僕の友達なら僕たちも友達だよね。と抱き合う。
あまりの感激に僕は涙を抑えることができなかった。
日本で例えるなら横浜で出会った友人が福岡に出稼ぎにでていて、その福岡で再会するような確率だ。
僕は仏教徒だが、この時ばかりはアラーの神に感謝の意を述べた。
宝くじが当たる確率がどのくらいか分からないがそれに匹敵くる確率だと思う。
かつて僕のマイミクさんが「あなたは強運の持ち主だからどこへ行っても大丈夫だよ」と言ってくれたのを思い出した。
確かに、恐ろしいほどの強運だ。
その運を日本で使いたいと常日頃思っているのだが、神様は僕自身の幸せの為には強運を使わせてくれないようだ。
イラク人が経営するチャイ屋さんはチャイをすべてただにしてくれた。
難民として隣国シリアで生活していて、とても大変な生活をしているはずなのにチャイをただにしてくれる。
こんな人たちだから辛くても報道を頑張りたくなってしまうのかも。
TOP