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ウズベキスタン日記
プロローグ
飛行機に乗り、空から地球を見ると僕はいつも詩人になる。残念なことに僕には豊かな語彙力がないため本物の詩人のような詩は書けないが、少なくとも心の中だけは詩人になる。38000フィートから地上を見ると地球はとても美しく見える。空はずーっとつながっているんだなーっと実感する。イラクからヨルダンに飛んだとき、僅か1000キロあまりなのに全く別の世界が広がっていた。もちろん空から国境など見えはしないのだが、人々が決めた境界線を越えると命の心配をしなくてすむ。空はつながっているのに。
最近海外に行く前の気持ちが以前とは違う。なんだろう。高揚感とか期待感がうすい。あえて言えば腰が重い気がする。
ほんの些細なきっかけからウズベキスタンを訪れることになった。
8月23日
前日、成田に宿泊したため余裕をもって空港に着くことができた。いつもの通り航空券を受け取り、チェックインをする。このとき窓際の非常口近くの席をお願いする。チェックインが終わると、海外旅行傷害保険、これもいつものパターン。朝食を摂っていないため軽く食事する。ターミナル2の二階に上がり寿司やへ。これまた前回と同じ「さざ波」という千円の寿司を食べる。夏休み後半を迎えたせいか成田空港はすいていた。あっという間に出国手続きを済ませA63ゲートにムービングロードで向かう。ゲートに着くとA63だった搭乗ゲートがB71に変更になっていた。勘弁してよ。羽田だとちゃんとアナウンスがあるのに成田は一切アナウンスが無かった。仕方なくB71に向かうが、反対向きはムービングロードがない。重い荷物を持って歩くのは辛い。いきなりついてないなーと思った。13:30定刻通りの出発。
アフガニスタンで僕が支援していた難民がウズベク人ということもあって、以前から興味はあったが、アフガニスタン戦争からまもなくイラク戦争が勃発し、とてもじゃないが訪れるきっかけがなかった。京都に住む僕の友人が「ウズベキスタンに行ってみたい」と言った。その一言でウズベキスタンを思い出し、今回訪れることになった。調べはじめてみると日本とは縁がなさそうなウズベキスタンだが、以外と接点も多かった。できれば雑誌やテレビでウズベキスタンを紹介したいと思うが、一般の日本人にとってウズベキスタン?それってどこの国?というくらいしか認知度がない国だけに日本のマスコミが興味を持ってくれるかどうかは疑問だ。
今回は少し欲張りに、ウズベキスタンと韓国を両方取材する。たまたま同じ時期に韓国で弁護士の会議があり、取材したいと思っていたのだが、ウズベキスタンにはアシアナ航空がソウル経由で飛んでいるので、ウズベキスタンを訪れた帰りに韓国も取材することにした。
機内食を食べ、1時間程眠った今この日記を書き始めた。アシアナの機内食で出てきた赤ワインは2002年のカルフォルニアのワインだった。機内で飲んだワインとしてはエミレーツのビジネスクラスで飲んだビンテージワインに次ぐ美味しさだった。(イラク日記参照)。
しかし、前回のタイ日記も終わってないのに、このウズベキスタン日記はいつ公開できるのだろう。ウズベキスタンに着くまでの数時間タイ日記を書き進めることにしよう。機内のテレビでミスタービーンが、以前パキスタンの空港でも見たが、言葉は通じなくても笑いのつぼは万国共通だと思う。
夜、9時を過ぎてタシュケントに着いたが、市内の治安は良さそうな気配だったので、いきなり夜の街を散歩してみる。人通りは少ないが、女性の一人歩きの姿も見られる。店は殆ど閉まっているので、仕方なくジュース(700スム)だけを買いホテルに戻る。1スムは約0.1円と思って良い。
ウズベキスタンには中央アジアで唯一の地下鉄がある。なかなか見つけられなかった地下鉄の入り口で。
8月24日
地下鉄に乗って市場へ
ウズベキスタンには中央アジアで唯一の地下鉄がある。折角なので乗ってみたいと思ったが、地下鉄の駅を探すのに一苦労。ようやく駅を見つけるが、チケットを買うのにこれまた一苦労。市場のある駅に行きたいと言ったが、おばさんがダメダメと手を振る。一生懸命説明するが通じない。そのうち地元のお客さんが来たので取りあえず窓口を譲る。他のお客さんの様子を観察しているとみんな200スムをだしてお釣りをもらっている。取りあえず、乗り越しでもなんでもいいから切符を買おうと200スムを出すとおばさんは「よろしい!」とばかりに青いプラスティックのコインとお釣りをくれた。後で気づいたが地下鉄はすべて均一料金のようだ。地下鉄は行き先も分かりやすく便利で良いが、いかんせん文字が読めなくてどの方面か分からない。目的の駅までは違う路線に乗り換えなければならないが、そのたびに人をつかまえてどっち向きの電車に乗ったらいいの?と聞かなければならなかった。地下鉄に切符は存在せず、リサイクル可能なおもちゃのコインのようなプラスティックのコインが切符代わりになっている。簡単に偽造できそうなものだっ
た。使わずに一個お土産にして持って帰ってこればよかった。しかもようやく地下鉄に乗れることに満足してコインを撮影するのを忘れてしまった。

ウズベキスタンの地下鉄。作りはとてもきれい。

北朝鮮の地下鉄。なんとなく雰囲気がウズベキスタンの地下鉄ににている気がする。
新たに訪れた国の事を知るのに一番良いのはマーッケットだと思う。マーケットをのぞくと、その国の人たちがどんな生活をしているのかがかいま見れる。勿論、写真的にもマーケットは魅力的だ。ということで地下鉄に乗っての行き先はローカルマーケット。
駅を降りるとなにやら香ばしいにおいが漂ってくる。おー!マーケットに来たなー。と言う感じ。階段を上りきるとそこには人だかりが・・。すごい。タシュケントのきれいに整備された町並みとは違った混沌とした雰囲気が伝わってくる。お腹がすいていたが、少しばかり我慢してマーケットを一週してみる。屋台、衣類、野菜、民芸品、ありとあらゆる物が売られていた。そしてウズベキスタンが人種のるつぼと言われる所以がはじめて分かった。
マーケットにいる人たちはロシア系からウズベク、タジク、そして僕たち日本人に似た顔立ちの人まで様々な人たちがいた。韓国系の人も多いようでマーケットにはキムチ、もしくはキムチもどきが売られていた。マーケットの混雑が大変なもので、僕は5分程歩く間に3回もウエストポーチを開けられた。海外でこれほど頻繁にスリに遭うのははじめてだ。最後の一人は腕を捕まえたが、悪びれた風もなくニヤニヤしていた。スリを捕まえても「いやーバレちゃったかー!」みたいな顔をされては怒る気にもなれない。色々な国を訪れウエストポーチを使ってきたが、ウズベキスタンでは使えないなーと思った。考えようによってはウエストポーチだから被害がなかったのかもしれない。バックパックが一番あぶないかも。ウズベキスタンのマーケットを訪れる時にはご注意あれ。
可愛い女の子が経営している露店で石けんを二つ買った。ヨルダンで買った石けんと使い比べてみようと思う。

昼食チキン!あまりにお腹が減っていて、あまりに美味しかったのでこれも撮影するのを忘れてしまいました。ごめんなさい。

マーケットの喧噪に少しばかり疲れた僕は、一度ホテルに帰ることにした。
お昼、小休止。
元気を取り戻したので,比較的ホテルから近いナヴォトババレエ劇場に向かう。
日本ではシベリア抑留という言葉をよく聞くが、実は大戦行こう多くの日本人がここウズベキスタンにも連れてこられ強制労働をさせられていた。
そんな日本人によって建てられたのがナヴォトバ劇場だ。ウズベキスタンでは日本人が建てたことによる感謝の気持ちと日本人が建ててくれたからいまだ建物が健在だという気持ちがあるようだ。劇場の入り口から向かって左回りに建物をみながら回っていくと、日本人の協力によってこの劇場が建てられたと書いてある記念日がある。劇場の受付のおばさんは何も言わないのに「記念碑があるからみておいで」と教えてくれた。

劇場裏にある石碑
撮影をしているとEos1-Vのバッテリーが無くなってきた。うかつだった。出国前に新品に変えてこなかった。ウズベキスタンは先進国だし電池くらい手に入るや、という甘えがあったかな。近くのスーパーに行くと見事にアルカリ乾電池があった。かつてパキスタンで電池を買ったらストロボ3回発光しただけで無くなったことがあった。今回は大丈夫かなーと思いつつ電池を買った。のどが渇いていたのでついでにジュースも。電池とジュースはとても安かった。(さすがに日本の電池よりはもちが悪かった)
夕食はウズベキスタン料理を食べにくためにガイドブックに載っていた「アルアジズ」というレストランにタクシーで向かうが、全く違う場所に連れて行かれてしまった。ここだよ!と言っておろされた後レストランを見ると全く違うレストランだった。地図より遠くまで走っているなーという気がしていたが、これも運命と思いそこで食事をする。ついていた!間違って行ったレストランはとても美味しいウズベキスタン料理を食べさせてくれた。基本的にはモスリムが大多数の国なのにウズベキスタン産のワインがあった。これがまた美味しかった。生バンドの曲を聴きながら偶然ガイドブックにも載っていないレストランに連れてきてくれたタクシードライバーに感謝した。
食事が終わると辺りは真っ暗。自分が何処にいるのかもよくわからないので、レストランの人にタクシーを呼んでもらい、2000スムでホテルまで帰った。

偶然訪れたレストランでウズベキスタンワインを頂いた。
8月25日
samarqandへ
昨晩はよく眠れなかった。何故かモーターショーの撮影に行く夢をみた。しかも担当者は某カメラ雑誌のSさん。モーターショーの撮影に行ったのは随分と前のこと。とっても不思議な夢だった。朝はなんとなく目覚めが悪く、朝食はとらなかった。今日はサマルカンドへ行く予定だ。地下鉄に乗って、バスターミナルへ行こうと思ったが、大きな荷物を持って階段の上り下りをするのがイヤでタクシーで行くことにした。最近デジタルカメラを使い始めたことで便利になった部分もあるが、コンピュータが必需品になり、荷物がますます重くなってきた。タクシーでバスターミナルへ向かっていると、ドライバーが「このままサマルカンドへ行かないか?」というような事を言ってきた。ドライバーはロシア語を話していて僕には90%理解不能だった。身振り手振りでいくらで行ってくれる?と聞くと100$という答えが返ってきた。ジョーダンじゃない、この時点でタクシーで行く気は殆ど無かった。しかしタクシードライバーはしつこくタクシーで行くように勧める。僕は出せても50$が限界だよ。それで無理ならバスで行くよ。と伝える。ドライバーは「70$でどうだ?」と。だから今後の日程もあるし50$しか出せないよ。「分かった65$でどうだ?」分かってないじゃん。本当に50$しかむりだから、申し訳ないしバス停に向かってくださいな。「んじゃ分かったよ、55$でいいよ」。本来ならここで満足すべきだが、僕は50$しか無理だといい。結局100$の言い値が50$になった。もし50$にしたい場合は40$と言った方がいいです。50$になったもののドライバーはそこそこ満足そうで、無線を使って会社に「これからサマルカンドまで行ってくる」と伝えていた。
後で分かったことだが、サマルカンドでは国際音楽祭がひらかれていて、ウズベキスタン人の移動はかなり制限されている時だった。必然的にタクシー料金も値上げされていて、50$はかなり良い値段だったようだ。

ウズベキスタンのガソリンスタンドには綺麗なお姉さんが多い。
8月26日
青の都samarqandで
今日は朝から風が強い。砂煙がまいあがり、アフガニスタンにいる時を思い出した。
昨日知り合ったウズベキスタン人がサマルカンドを案内してくれた。最初は「日本人ですか?お客さんどこへ行きたいですか?」と言われ、この「お客さん」という言葉が気になった。それってガイドしてお金ちょうだい!ってこと?と思いつつも、食事がしたいからいい場所教えてよ!と言うと地元の人が行くレストランへ連れて行ってくれた。そこで僕はマントゥーとビールを飲んだ。マントゥーはこちらの餃子みたいな食べ物で、比較的日本人の口にあう。マントゥーを食べるのはマザリシャリフで活動しているピースウインズジャパンの人たちと一緒に食べて以来だ。
案内してくれたウズベク人にもマントゥーを勧めたが、「私はいいです。お客さん食べてください」と言われてしまった。結局、彼はお茶を飲んだだけだった。この時点で僕は彼を信用する事に決めた。明日はどこへ行きたいの?と聞かれたので、サマルカンドにある遺跡をあちこち見たいとお願いした。彼は明日10時にホテルに迎えに行きますと行ってくれた。いい人そうだし、最悪お金を払ってもいいや。と覚悟を決めていた。
別れ際に彼が、今日の夜結婚式があるんですが、見たいですか?と聞いてきた。毒を食えば皿までという僕としては、是非みたいと即答してしまった。彼は一度家に帰り、結婚式用の服装に着替えてまたホテルに迎えに来てくれると言う。ここまで順調に話が進んでしまっていいものかと思いつつ。OK,I'm waiting.と言ってしまった。
約束通り彼がホテルに迎えに来てくれて、タクシーで式場に向かった。直接式場に向かうかと思いきや,学校に行き、他の学生と待ち合わせをして式場に向かうらしい。集まって来た学生と話してびっくり!みんな日本語を話す。よく聞けば日本の先生がいて日本語を勉強しているそうだ。
みなさんもサマルカンドを訪れると運がよければ現地の学生で日本語を話す人に出会えますよ。 10人近い学生が集まり、何台ものタクシーを止め、式場に向かう。僕はアリシェル他二人のウズベク人とタクシーに乗り込んだ。
初めてのサマルカンドで、学校の位置も分からず、式場はまた遠い。一人でホテルに帰れと言われたら無理だなー!と思いつつも、
いつものごとく成り行きに任せてしまうことに決めた。 結婚式
僕たちが会場に到着すると、新郎新婦が着替えをすませ,披露宴会場に現れる時間だった。
なんの前触れもなく現れた日本人を歓迎してくれるウズベキスタン人の寛容さに驚いた。
日本の感覚でいえば、新郎、新婦の友人がアポなしで知り合ったばかりの外国人を披露宴会場につれてくる、そんな突飛なことだと思う。
披露宴は一晩中続くそうだが、僕たちは12j時を回ったところで失礼することにした。わが友アリシェルはちゃんと僕をホテルまで送り届けてくれた。
初めて訪れたウズベキスタンで貴重な体験をさせてもらった。

青がきれいなサマルカンド
8月27日
ヒヴァへ
ウズベキスタンにはもう一つ世界遺産に指定された場所がある。
その、もう一つの世界遺産ヒヴァへ行こうと思っいたった。これまた、まったくの思いつき。しかし、残念なことにサマルカンドからヒヴァへの直接のフライトがない。結局タシュケント経由でヒヴァへ向かうことにした。ここで思う、一昔前なら経済的なこともあり、国内移動に飛行機を使うことなんて全くなかったんだけど・・歳のせいかな?何十時間もバスに乗るなんていう移動ができなくなってきた。
まずは首都タシュケントへ戻らなければならない。バスでの移動も考えたが、アリシェルがタクシーを手配してくれるというのでお世話になることにする。彼は一度ホテルまで来てくれて、「信頼できるドライバーを捜してくるから待ってて」と言い残し、タクシーを使ってどこかへ消えていった。待つこと約30分。アリシェルが一台のタクシーと共に帰ってきた。長距離のタクシーを探しに行ってくれたタクシー代くらいは払おうと思ったが、彼はいらない!という。あまりに申し訳ないので、彼の手に無理矢理のようにお金を握りこませた。アリシェルに見送られながらサマルカンドを後にする。
全く計画性がない移動だったが、なんとかヒヴァ行きのチケットを手に入れヒヴァへ向かう。ヒヴァに着くのは夕方5時過ぎ。空港からヒヴァの遺跡がある場所まで1時間くらい。暗くなる前にホテルに着きたいと思いつつ、バスかなー?タクシーかなーと考えていた。ちょうどその時隣の席の人がそこそこきれいな英語で「観光ですか?」と話かけてきた。渡りに船とはこのこと。「初めてウズベキスタンで、ヒヴァも初めてなんですよー。空港から市内まで遠いですよねー」となんとなくふってみる。「時間も時間だしローカルバスを乗り継ぐのは大変だからタクシーがいいよ」と。「あちこち旅をしてるんですが、どうも空港のタクシーには良い思い出がなくて・・」。そうだよねー!良かったら僕がタクシーを手配してあげるよ。と言ってくれた。聞いてみれば彼はウズベキスタン人のガイドで、タシュケントから二人のドイツ人と一緒にヒヴァへ移動する所だと。こんな時は信じるに限る。「是非よろしくお願いします」。彼は飛行機が着陸するとすぐに携帯を取り出し、タクシーを呼んでくれた。僕たちが空港を出る頃には、人の良さそうなおじさんが待ち受けていてた。「この人がドライバーだよ」。お礼をいい、握手をすると、ガイドさんは他の車でドイツ人二人と空港を出て行った。
またまた地元の人に助けられてしまった。初めての土地でドライバーが信用できるということはかなりラッキー。ドライバーは片言の英語でガイドをしながらホテルまで僕を運んでくれた。
ホテルでチェックインをすますと、もう辺りは真っ暗だった。ホテルで夕食を摂るの
も味気ないので近くの地元っぽいレストランに向かう。レストラン(食
堂)に入るとちょー元気なおばちゃんが愛想よくでてきた。幸いに目の前にチキンが
ぶら下がっていたので、「これちょーだい」と日本語で。おばさんが、何
やら「これが美味しいんだよ」。みたいな事を言うので、それも頂く事にした。ホテ
ルも近いし、ついでにビールも頂く。美味しい夕食を味わっていると、隣
の席にウズベキスタンの若者が6人ほどやってきてガヤガヤと食事を始めた。
「どこから来たの?」みたいな質問をされたようだが、ウズベキ語は全く分からな
い。英語で話しかけてみたが、若者達は英語が分からないようだった。無理
と思いつつもファルシーで話かけてみると、「なんだファルシーが話せるなら早く言
えよ!」と一気に色々話しかけてきた。ところが僕の言語能力では3分の
1を理解するのがやっと。ウズベキスタンはイスラム圏であるのに若者がビールを飲
む不思議な国。酔った若者達は僕が理解しようがしまいが、お構いなく会
話を続ける。6人の家の二人がタジク系の人だと分かった。人種のるつぼと言われる
ウズベキスタンをかいま見た気がした。ほろ酔い気分でホテルに帰り、遺
跡の夜景を見ながら眠りにつく。
ホテルから見たヒヴァの風景
8月28日
ヒヴァ 世界遺産、遺跡の街ヒヴァの観光にくりだす。
空は青空。遺跡の街に似合う最高の天気が僕を迎えてくれた。
大体どこの遺跡も日陰が少なく暑い。ここヒヴァもご多分にもれず、ちょー暑いが遺
跡の写真にはそのくらいの日差しが似合うので僕としては嬉しい限りだ。
城壁で囲まれた遺跡の街を写真を撮りながら巡っていると、4×5の大きなカメラを
構えたカメラマンを見た。フィルターを変えながら何度もシャッターを
切っていた。なんとなく日本人ぽく見えたが一生懸命に写真を撮っているので話しか
けるのをやめた。 ジャイカ
サマルカンドで「ヒヴァには日本人の青年海外協力隊で働く澁谷さんという人がいる
ので訪ねてみるといいよ」。と教わっていた。街中にあるオフィスを訪ね
澁谷さんはいますか?と訪ねてみると、応対してくれたウズベク人がちょうど出かけ
ています。と教えてくれた。残念!折角なのでお会いしてウズベキスタン
の事を色々聞いてみたかった。僕たちが海外を訪れて、その国を何度見ても実際に現
地で働いている人が見るものには追いつけない。僕はどの国に行っても現
地で働く人に出会えるチャンスがあれば、最大限に生かし、その国の事を教えてもら
うようにしている。 澁谷さんは明日もう一度会いに行ってみようと思い、街の奥へと足をすすめた。青い
空と遺跡は久しぶりに僕に沢山の写真を撮らせてくれた。あちこちの建物
を写真に撮りながら歩いていると日本人らしい人に出会った。といいつつも、ウズベ
ク人と日本人は顔つきが非常に似ているので、顔ではなく何となくの仕草
で日本人ぽいと思った。耳をそばだてて見るとその人は地元のおばさんと何か話して
いたが、どう聞いてもウズベキ語だった。あら、やっぱ日本人じゃなかっ
たかと思い、通り過ぎようとしたとき、おばさんとの会話を終えた青年が僕に「日本
人ですか?」と懐かしい日本語で聞いてくれた。別に急ぐ用事があるわけ
でない僕は話しかけてくれた青年としばし立ち話をする。「こちらの言語を覚えたん
ですか?」とありきたりな質問に「仕事がら必要で覚えました、まだまだ
話せませんが・・」と。地元のおばさんと日常会話ができる言語能力は凄いと思う
が。「失礼ですが何のお仕事なんですか」と訪ねると、「海外協力隊でウズ
ベキスタンの観光業務を扱っています」、もしかして澁谷さんですか?「え?どうし
て知っているんですか?」実はサマルカンドで・・と、いうわけで諦めか
けていた澁谷さんと会うことができた。ちょうどお昼ご飯の時間で澁谷さんが良かっ
たらご一緒に、とランチに誘ってくれた。地元をよく知る人に誘ってもら
えるなんて、またまたラッキー。少し郊外の地元の人がいくレストランに連れて行っ
てもらった。
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